COLUMN

毛細血管とグリコカリックスの研究を多様な疾患の治療や予防につなげたい 
岐阜大学大学院 医学系研究科 富田弘之准教授(腫瘍制御学講座 腫瘍病理学分野)

グリコカリックス(糖衣)は、血管内皮などの細胞表面を覆う糖蛋白質のゼリー状かつ帯状の構造体で、近年、さまざまな生理的機能を有することが明らかになってきている。岐阜大学大学院医学系研究科の富田弘之准教授らは、血管内皮グリコカリックスの構造や機能、疾患との関係などを解明する研究を進めている。
 グリコカリックス(図1)は、ヘパラン硫酸やコンドロイチン硫酸、ヒアルロン酸などのグリコサミノグルカンと、それを支えるシンデカンなどのコア蛋白が主な成分で、それらも糖鎖の複雑な結合からなっている。
 富田氏は「グリコカリックスは、例えるならウナギの表面を覆うヌルヌルした成分のようなもので、基本的には哺乳類のどの細胞表面にもある」と説明する。

 

さらに、「血管内皮ではグリコカリックスの存在が血管外への物質の流出、血管内皮への接着を防ぐ働きがあると考えられるため、輸液や麻酔といった集中治療分野で最初に注目されるようになった」と話す。

 

この10年ほどの間に血流維持、内皮の防御、抗血栓作用、ホルモンや増殖因子の結合シグナル伝達、糖鎖からなる栄養源など、グリコカリックスの多彩な機能が報告されつつある。

 

図1 血管内皮のグリコカリックスの構造 (右は透過型電子顕微鏡写真)

 

また、血管内皮グリコカリックスは血管内皮細胞の健康状態を鋭敏に反映し、正常な状態であれば厚く、ヌルヌルした状態を保っているが、糖尿病などで血管内皮自体が傷害を受けるとグリコカリックスも薄くなって機能が低下することが分かってきている。

 

富田氏は「大血管よりも末梢の毛細血管のほうが、血管径に対するグリコカリックスの厚さが相対的に大きいため、毛細血管でのグリコカリックスがより重要である」と指摘する。

 

富田氏は、腫瘍病理学の研究者として腫瘍の微小環境を研究テーマの一つとしている。腫瘍細胞とそれを取り巻く毛細血管や炎症細胞、神経などの研究であるが、その延長で、ある時期から毛細血管とグリコカリックスを研究するようになった。毛細血管に着目したのは「病理専門医として今まで全身のあらゆる臓器を見てきたつもりだったが、見た気になっていたが実は見えていなかった細胞組織があることに気付いた。それが毛細血管だった」と説明する。

 

毛細血管は平滑筋には囲まれず、血管内腔を形成する内皮細胞とその外周にまばらに存在する周皮細胞からなる。全身の臓器組織に張り巡らされた毛細血管は、全血管の99%を占め、60億個もの細胞と栄養や酸素、ホルモンなどの情報物質のやり取りをしている。富田氏は毛細血管の構造と機能について次のように説明する。

 

「古典的な理論では、毛細血管側から間質側、あるいは間質側から毛細血管側への物質の移動は双方の浸透圧の差によって生じ、内皮細胞の間のわずかな隙間を通って移動すると考えられていた。大量の物質が通過する際は内皮の隙間が開くイメージだ。

 

一方、毛細血管の内腔微細構造は1980年代に電子顕微鏡によって解明され、内腔にほとんど隙間のない連続型、ところどころ小さな穴が開いた有窓型、大小バラバラな穴が開いた洞様型に3分類されるが、この3種の微細構造と生理現象や病理病態との関連はほとんど研究されてこなかった」

 

その理由について「毛細血管は太さ5-20μmで光学顕微鏡では認識困難であるものが多くを占めるが、電子顕微鏡でしか見えない微細さ、不安定さ、不便さなどにより研究が進まなかったのではないかと思われる」と富田氏は指摘する。

 

それが電子顕微鏡の進歩などによって再び脚光を浴びるようになり、「2010年頃からは、毛細血管を覆うグリコカリックスの上下の浸透圧の差で物質が移動すると考えられるようになっている」と富田氏。

 

脳、心臓、肺などの毛細血管内皮は連続型で、その表面をグリコカリックスが密に覆う。消化管や腎臓、内分泌器官などは有窓型でグリコカリックスが存在し、その穴を覆う。肝臓や骨髄は類洞型であり、穴が大きく、グリコカリックスによって覆われていない。

 

つまり、消化管や腎臓、肝臓などの毛細血管ではもともと開いた穴からある程度自由に物質は出入りし、グリコカリックスの機能によって調節されていると考えられる。各臓器での毛細血管の透過性は、その微細構造の3分類とグリコカリックスの組み合わせで説明がつくという。

 

毛細血管の構造は同じでも、臓器によってグリコカリックスの厚さが違う

 

このような血管内皮グリコカリックスの働きに興味を抱いた富田氏は、病理専門医というバックグラウンドを生かし、同じ岐阜大学医学部の救急・災害医学の岡田英志氏とともに、走査型電子顕微鏡(SEM)撮影技術を駆使した研究を行うようになった。

 

「そもそもグリコカリックスは水溶性のもろい構造なので、個体が死ぬとすぐに溶けてしまうため、ヒトの血管内皮グリコカリックスを直接、観察すること自体がなかなか難しい」と富田氏は研究の難しさを指摘する。

 

そこで、同氏らの研究グループは手術で摘出した臓器の組織片を入手し、疾患モデルマウスなども用いて、ヒトとマウスのいくつかの臓器で、正常および疾患状態での毛細血管内皮構造とそのグリコカリックスの超微細3次元構造を撮影することに成功した。

 

写真(左)はヒト大腸組織の毛細血管と内皮で、写真(右)がそれを拡大したものであるが、黒矢頭で示されたグリコカリックスが森林のように連なっている。

 

写真(左)ヒト大腸組織の毛細血管、写真(右)毛細血管の内部を覆うグリコカリックス

 

それらの超微細3次元構造を臓器別に比較すると、肺と心臓と脳は血管内皮の微細構造は同じ連続型に分類され、電子顕微鏡画像でも同じ構造であることが確認できたが、グリコカリックスは肺では薄く、心臓では中間、脳では非常に分厚いことが明らかになった。

 

「われわれは血管の構造が同じでもグリコカリックスは臓器によって違うことを発見したが、脳はサイトカインや毒物などから脳細胞を保護するために厚く、肺では酸素と二酸化炭素のガス交換を行うために薄くなっているのではないかと推測している」と富田氏は述べる。

 

また、疾患との関連では、マウスによる実験で糖尿病や加齢、食事制限などのモデルマウスの血管内皮グリコカリックスは正常マウスのそれより薄いこと、モデルマウスに炎症を惹起させると、グリコカリックスが厚ければ内皮は保護されやすいが、薄いと炎症が長引くことを見い出した。

 

富田氏は「COVID-19に感染すると、糖尿病やがんなどの基礎疾患がある人は血栓ができやすく、重症化しやすいことが知られているが、それはグリコカリックスが薄いことにも起因しているのではないか」と推測。

 

また、グリコカリックスが薄くなると、刺激によるダメージ、異常なシグナル伝達の増加などが起き、炎症の長期化やがんの成長などさまざまな疾患の発症や悪化につながっていくのではないかと考えられる」と仮説を述べる。

 

富田氏らは、ヒトや動物のさまざまな臓器の毛細血管でのグリコカリッスクの厚さや構成成分など、多様性を明らかにする研究を続けている。疾患の発症や悪化に至るメカニズムの解明やグリコカリックスを標的とした治療法の開発は、まだ、これからの研究を待たなければならないが、今後の発展が期待される領域だといえる。

 

富田氏は「血管がなければ個体は生きられない。全身の循環を司る必要不可欠な臓器であり、TNF、IL6、IL1βなどの炎症性サイトカインやHGF、FGF、VGEFなどの細胞増殖因子も血管を通って臓器へ運ばれ、多様な疾患の発症や組織修復に関与している」と強調し、アルツハイマー病、心不全、がん、臓器移植、糖尿病、慢性炎症、老化、自己免疫疾患など幅広い分野で研究成果を応用できる可能性を示唆し、こう夢を語った。

 

「今一度、最新の科学・医学で毛細血管を見て、知って、保つことで、健康的に老いる長寿社会を実現する研究成果を挙げることを夢見ている」

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